頭のかたすみ

どっかのだれかのどうでもいいこと。

明くる年


新年というから新しい気分になったかというと、わたしはそうでもないみたいで。お正月だから目出度くて賑やかな感じはしても、何かが変わった訳じゃないしと思ってしまう。
どちらかというと区切りは季節で感じます。よって、わたしにとって今はまだ冬の半ばです。これで雪が溶けてくれればすごく晴れやかな気分になれるのにな。

それでも、明けましておめでとうございます。


新年早々、熱を出して2日ほど寝込みました。なんやそれと思われるかもしれないけど、わたしも意味がわからなかった。なんやこれ。



見えたとて消えるもの


明日と思ったのに今日になっていて、今日だと思ったのに昨日になっている。時間の流れが早すぎて見えない迫り来る何かに怖気づいてしまう。昔の人はよく師走なんてわかりやすい名前をつけたものだなと思う。

今年はとにかく駆け抜けるような一年だった。浪人していたからっていうのもあるけど、あっという間に一年が終わってしまった。今年はいろんなことで悩むことが多くて、それが今年一番いいことだった。これからも悩むんだけど、一年で三年分くらい悩んだと思う。

亥年生まれなので、猪突猛進ということで。ここからは多少の岐路選択をしつつ駆け上がっていきましょう。
悩んでるのはらしくないけど、悩んでないのはもっとらしくない。思い悩んでいくね。


見えたとしたって消えるけど、見ようとしていなければ見えないものばっかりだ。目を背けたくなることばっかりだけど、そういうときこそ目を凝らしていくしかないのかな。そう思った一年でした。



大人とはなんだったのか

 

ほんとの意味の大人なんていやしないんだなあと気がついたのはつい最近のことで、もちろん身体的な面での線引きは明確にあっても自分が大人になる自覚をしなければいつまで経っても大人になれないんだろう。自分の中の大人像があっけなく崩れていくのを感じた。ここに来るまで人格者と呼べるひとに出会ってきたような気もするけど、今思い出してみればひとりひとり多少の選り好みを持つ人間らしい人間だった。

激しく大人に憧れてはやく独り立ちをしたいと思っていたのは小学生の頃だったか、あの頃は大人の仲間入りをしたくて仕様がなかったのが、今はまだ子どものままでいたかったりする。漠然と子どもは自由だからなんて思ってたんだけど、保護されていることを考えれば行動範囲は自ずと狭くもなるしそういった話をするなら多分大人のほうが自由だ。自己責任さえ負えばすきなことをすきなだけできる。なぜ子どもが羨ましいかというと、あの立場が居心地よかったんだろうなと思う。勝手な見解で物を言えば、同じことをするのでも子どもと大人じゃ期待値が違う。大人でできて当たり前のことが子どもだと褒められる場面も多い(そういう甘えを許されないところで育った子がいるであろうことは置いておく)。今のわたしは大人と認識されるようになって期待はずれだと卑下されるのが怖いのだろうと思う。あと子どもの頃に戻って褒められたい。褒められて伸びたい。

 

自分で自由を掴める立場にあるのは喜ぶべきことで、でも本当の自由ほどこわいものは無いと思う。ぬくぬくするには多少のしがらみが必要。かといって自由意志なんて存在しないとか言うのはやめて齧る程度の哲学はすきだけど頭こんがらがる。

 

 

 

つくりました。

 

最近は人と会わなさ過ぎて少しでも話したいことがあるとなんでもかんでもすべてTwitterに投下してたので、フォロワーさんの精神衛生、自分の精神衛生を考えてブログをつくることにした。

なんの気もなしにツイートしたことがTLで勘違いされたりもするだろうし、そういうことにならない為にはTwitterより時間の流れが気にならないブログのほうが絶対いい。

ジャンル問わず思ったことをいろいろ書いてみようかなあと思う。

 

わたしは書いてる人の素性がわからないブログの方がワクワクするので、そういうスタンスでいこうかと思います。

とりあえずはじまりとしてのエントリー。