頭のかたすみ

どっかのだれかのどうでもいいこと。

ダサリズム

 

  過ぎ去った幼さを具現化したような対象を目にするとき、どうにも具合が悪い。覚えているもの、わたしもそれをやっていた。気持ちよく、快いという認識を持って。けれども、いつしか箱を開けてみればちっとも粋じゃなかった。ダサいということだ。

  人にはそういう時期がある。ダサくてしょうのない時期。わたしは歳を重ねてはそういった時期を逸した気分になるが、生きてる限りどっかダサいまま生きるのが本当なんだろうなと思う。風が流行り廃りを変え、同じ季節でも去年と今年ではまるで良いものって違うものだ。

  お母さんから見てダサいものか実は流行の最先端だった。逆も然りだが、こんなことザラにある話で、年齢・地域・国籍・エトセトラのコミュニティがわたしたちの感性の判定基準になることが多いけれども、それさえ意味がないときがある。何が要因になるとも知れぬ。マスメディアが流行を作ってるのかもしれない。業界で示し合わせてるのかもしれない。しかし、どこでだって誰からだってカルチャーは産まれる。

  指標は世間じゃなくて、わたしが決めるもので、ダサくても納得いけばいいと思っている。